ストーカーとセクハラ
先日テレビを見ていたら、ある法律の専門家が、
ストーカーの定義について触れる場面がありました。
それによると、誰かの行為をストーカーと断定するには、
恋愛感情があることが条件であり、
その場合に限ってストーカー行為というのが適用されるそうです。

私は、全く逆を想像していたので、
その発言には、一瞬耳を疑ってしまいました。

そもそも、恋愛感情なるもの有無を、
法によって判定するなどということ自体に無理があることはもちろん、
たとえ、それが正しく判定できると仮定しても、
では、その感情に動かされて人間が取り得る行動に、
正否の境界線を求めることって、できるのでしょうか…?

ストーカーに似たニュアンスの言葉に、
セクハラという言葉があります。
たしかに、これらの言葉が生まれ、
法廷に持ち込まれるようになったには、
それなりの理由や背景があることは、充分にわかるのですが、
これら二つの言葉の存在を、
私には色んな意味で危険に感じます。

こんな言葉が存在すること自体危険だし、
また、こんな言葉を定義しなければならなかった社会背景、
そして、実際、多くの人がこんな言葉に頼っていることも、
全て危機的状況にほかならないと思うのです。

これらの言葉が、一刻も早く死語になってしまい、
人々が人間らしい自然な姿をとり戻せる日が来てくれることを、
心から祈りたいものです。

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【2007/05/31 23:48 】
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顔じゃないよ…
人の外見とは、表情がつくり出すもの。

これは、10年ほど前のある面白い体験から、
私が、目から鱗的に痛感したことなのですが、
このところ、日常生活の中で、
そのことを強く再認識させられる出来事がありました。

今月は、体調がすぐれず、
病院に行くことが多かったのですが、
まだ土地感のない私としては、まずネット検索。
最近では、充実したHPを出している病院も多く、
そこには、各種情報やその病院の方針、
それに、大体、医師の写真が掲載されています。

もちろん、一番頼りになるのは、
その病院の診療方針や基本的理念なのすが、
くだらないと思いながらも、
実際に自分の身体を診てもらうお医者さんの顔写真というは、
やはり、とっても気になるものの一つ。
自己紹介文は、とっても細やかで暖かい感じなのに、
写真はけっこう厳つい、とかいうのが実際ありますから、
それでなくとも不安を抱えた者の立場としては、
微妙な気持ちになってしまうんですよね〜

でも、今月初診で診ていただいた3人のお医者さんは、
皆さん、初対面でその不安を一掃してくれて ◎
どの方も、写真の印象とは、全く違って安心できる方でした。

本当に、人の外見って、決して顔の造形だけでなく、
動きを伴ったその人の表情とか、
ちょっとしたしぐさ、話し方、声色、
それに、身体か発散されるオーラ…などなど、
多くの要素が集まって出来上がるものなんですよね。
つまり、それらの一つ一つって、
結局は、その人の心の内側が反映されるもの。

その昔、「顔じゃないよ、心だよ!」
なんて茶化したフレーズが流行したことがありますが、
実際は、心こそが、そのまんまその人の顔だよねと、
強く思う今日この頃です。


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【2007/05/30 23:30 】
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プラスがマイナスに働く
ここ最近の、自分のピアノについて考える…。

最もプラスの材料は、初見力がついてきたこと。
我ながら、それは、以前と見違えるほと急激にと言えると思う。
そして、それ自体はたしかに努力の結晶で、
自分で自分を褒めてしかるべきことだとは思うのだが…。
包み隠さず白状すると、その勝ち取った力を傘にきて、
手間隙かけることを、怠りがちな自分がいる。

初見力は音楽の総合力。
演奏の仕事をこなしていくには、この音楽の総合力がなければ、
結局、話にならないわけだから、
それ自体は、自分にとってのプラスに間違いないのだが、
そのプラスが、マイナスに働いてしまっては、
結果を相殺してしまうどころか、やはり、残高はマイナス。

こんなことが起こってしまうのは、
そもそも自分の甘さ故のこと。
これは、いけません!

思えばこのところ、色々なことにふりまわされ、
自分自身にとって最も大切なことを忘れていた私です。
もう少し結論を待っていたことを全て清算し、
早く、真摯に音と向き合える自分を取りもどしたいです。

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【2007/05/29 00:23 】
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パスタ
考えてみれば、私は、
イタリア人に負けないくらいパスタを食べています。

両親と同居していた時は、年老いた彼らの好みというのがあるので、
こういう食生活はできなかったのですが、
私にとって、パスタにサラダにワインとチーズあたりがそろえば、
それでもう十分豪華な夕食メニュー

具と味付けさえ変われば、何日パスタ料理が続こうと、
またか…という感じはしないくらい、
私は、パスタが好きなんですね

…というわけで、うちには、スパゲッティーはもちろん、
ペンネ、フジッリ、ファルファッレなど、
数種類のパスタが常備されています。

茹でる時は、多少多めに。
残りのパスタを冷凍しておくと、急ぎの時に大変重宝です!
【2007/05/28 00:07 】
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電波時計
電波時計を買いました

湿度表示がついたものを、レッスン室用にずっと探していたのです。
電器店だとけっこうな値段なので躊躇していたのですが、
ホームセンターをウィンドショッピング中に、手ごろなのを発見

誰が発明したのか、すごいですね
電池を入れると電波が受信され始め、
5〜10分のすれば、正確な日時と時刻が表示されます。
もちろん電池が切れない限りは、狂うことはなく、
表示された時刻は、正確な時刻と一分一秒の誤差もないわけですね。

昨日、レッスン室の湿度について触れたばかりですが、
時計の下にデジタルで厳密に表示されるようになり、
何気にご満悦なのであります

【2007/05/27 00:48 】
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湿度が40%をきると…
外出から帰って、ピアノを弾き始めると抜群の響き!
…?と思ったら、室内の湿度が30%近くまで下がっていました。
昨夜から蒸し暑く、部屋の湿度も高めになっていたので、
出がけに除湿機のモードを通常モードの設定してたので、
いつもより、湿度がぐっと低くなっていたわけです。

私のレッスン室は、非常に機密性が高いので、
除湿機を通常モードでかけておくと、30%近くまで湿度が下がります。
30%といえば、輸入楽器の理想湿度。
国産楽器用には多少低すぎるので、過乾燥を避けるために、
湿度計が40%を切った時には、モードを変更するようにしているのですが、
本音を言えば、常時30%くらいに保っておきたいのです。

湿度が40%を切ると、ピアノの響きが激変します。
つまり、別の楽器のように響き始めるのです。
この非常に心地よい響きは、ヨーロッパで聴いた響きなんですね。

ご存知のとおり、ヨーロッパは空気が乾燥しています。
この乾燥した空気の中で伝わる音と、
日本のような、湿度の高い空気の中で伝わる音は全く異質で、
乾燥した空気の中では、本当に音がよく飛ぶのです。
だから、きっと、室内が一定の湿度を下回ると、
急にヨーロッパの響きになるわけですね。

転居したてのころ、この心地よい響きのため、
常時、30%近くまで湿度を下げていたのですが、
念のため技術者の方に相談したところ、
やはり、多少過乾燥気味だという答え。
響板がいかれてしまってからでは遅いので、
最近では、50%前後を目安にしているのですが、
響き具合としては、実は物足りなく感じているわけなんですね。
う〜ん、でも、やっぱりこの響きは魅力です!
【2007/05/26 23:56 】
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運気の流れ
運気の流れというようなものは、やはりあるように思います。
何をやっても裏目に出る、
そして、その裏目に出たことを挽回しようとして、
さらに何かをやると、それが、またまた裏目に出る。
抱えている問題が雪ダルマ式に肥大していき、
ついには押しつぶされてノックアウト。
こういうことってあるんですよね…。

逆に、ひとたびその運気が良い方向に流れ始めると、
それまでの停滞がウソのように、
滞っていた全てが、何をしなくともスムーズに流れ始めます。

この世のあらゆる出来事には、
理屈では説明できない不思議なことがいくつも存在していて、
だからこそ、その力を神のなせる業とか言うのでしょうが、
運気などというものもその一つで、
たしかに、そういうことってあると思うんですね。

さて、このところ、この極悪な運気の流れに、
怒涛のように押し流されていたとしか思えない私ですが、
やっと夜明けの兆しが見えてきました。
これから夏・秋に向かって、多くの大切な本番が続きます。
仕切りなおしで、頑張っていきたいです
【2007/05/25 23:43 】
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正の感情・負の感情
誰の心の中にも、プラスの気持ちとマイナスの気持ちがあります。
生まれ出でるということは、宿命的な苦しみを背負うことであり、
負の感情を全く背負わない人は誰一人としていないのです。

そして、無意識下に存在する、プラスマイナス含めた種々の感情が、
人との触れ合いによって触発され、
意識の表面に現れ、自分に色々なことを感じさせるのです。

どんなに物理的また物質的メリットがあっても、
自分の負の感情を誘発する人と長く深く交わることは、
できるだけ避けた方が良いのではないかと、私は思っています。
その人自身が、良いとか悪いとかということではなく、
これは、単純に相性的な問題なのです。

この相性は、心から発する電波的のようなもので、
決まるのではないかと、私は思っています。
つまり、ある人が持っている負の感情と、
同じ周波数の負の感情を自分が持っている時、
互いがその電波に反応しあうわけで、
つまり、いくら誰かが負の周波数を発していても、
相手にそれを受け取るチャンネルがなければ、
その電波は素通りし、互いになんの影響も及ぼさないわけです。

もちろん、逆に正の周波数同士が反応しあうこともあるわけで、
この場合は、お互いが、肯定的な自己を確認する結果となり、
心の中に充足感が満たされていくのです。

私は、人にどう見られるかということにとらわれず、
社会的には少々不器用でも、
自分自身の生き方を大切にしている人が好きです。
そういう人が持っている、外に開かれた笑顔。
そんな笑顔に出会えた時、自分の中にも、
生きる活力が自然と沸いてくるのです。



【2007/05/24 23:47 】
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孤独の錯覚
ここのところ、なぜか一気に目の前に山積みのトラブル。
先日、心のはけ口を求めて相談に乗ってもらった男友達から、
メールをもらいました。

“あれからどう?何かあったら、また知らせてね。”
短いメールですが、暖かかったですね。

悩んでいる時、人間は孤独にさいなまれています。
一人きりで孤立無援になり、自分を暖かく包んでくれる人など、
一人もいなくなってしまったような気持ちになるのです。
そこは、荒涼とした夜の砂漠で、
進むべく道もなければ、風景さえもない。
どこまでも殺伐とした空気が淀んでいるだけ…。

でも、それは錯覚で、本当は違うのです。
自分が見ているのは、心の中の風景。
心の闇が、視力を奪ってしまうんですね。
外に向かってしっかりと目を見開けば、あそこにもここにも、
自分のことを気にとめていくれている人は、いっぱいいるのです。

【2007/05/23 00:16 】
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逃げ道
心のキャパシティーは、人それぞれ。
転地がひっくり返るほどのことを受け止められる人もいれば、
手のひら一杯ほどのことでも、立っていられなくなる人もいる。
だから、常に自分の尺度のみで相手を計っていると、
思わずもがな、相手を追い詰めてしまうことがある。

自分が耐え切れることに、相手も耐え切れるとは限らない。
自分が受け入れることのできるものを、
相手も受け入れられるとは限らない。

もし、誰かを、とても繊細な場所に、
連れて行かなければならない時があったとしたら…。
それを放棄して逃げたり、
見てみぬふりで避けて通ることが、私にはできない。
でも、もしかしたら、自分はそこから逃げなくても、
相手は、いつでも逃げられるように、
そっと、逃げ道を用意しておいてあげることが、
思いやりであり、相手の意思を尊重するということではないかと、
そう思うのです。

「真実がいつも人を救うわけではない」
ある小説にでてくる、この一節…。
私の価値観からは遠く、私の生き方ではないけれど、
もし、真実を目の当たりにしてしまったら、
生きていけなくなってしまうほどの痛手を負っしまう人もいる…。
ある人のある表情が、そんなことを私に思わせたのです。


【2007/05/22 00:47 】
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出会いも別れも…
出会いも別れも、物理空間の中の出来事だと、
若いころは思ってた。
誰かに誰かを紹介されて知り合うことが出会いであり、
付き合っていた恋人と、関係を解消することが別れだと、
そんな風に思ってた。

でも、本当は違う。
出会いも別れも、実は、心の内の出来事。
何年も顔見知りであっても、恋人の約束を交わしたとしても、
もっと言うなら、夫婦として何年暮らしたとしても、
その人自身に出会えないということは、いくらでもある。

私は、その人自身と出会えない時、
その人と別れてしまうことを選択する。
同じ時間や空間を共有しながら、
その人との間に、何のつながりも感じられないことは、
私には、寂しすぎるから。

一人でいる寂しさに耐えることはできても、
二人でいるのに寂しいことに、私は、耐えることができない。
【2007/05/21 00:42 】
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チャペル・バロックコンサート
市内の小さなチャペルで開かれた、
チェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバの演奏会に行ってきました。
バッハ研究中の私としては、大変に興味深い演奏会で、
ずっと楽しみにしていたのです。

偶然、知人が演奏会のお世話をしていたおかげで、
終わった後、演奏されたチェンバロを弾かせていただき、
専門の方に色々質問する機会にも恵まれ、
また、楽譜も見せていただき、非常に参考になりました。

チェンバロの演奏を聴きながら、
自分が、毎日、弾きまた聴いているピアノによるバッハとの違いに、
多くのことを感じましたが、
一段鍵盤の小さなチェンバロで、バッハを弾かせていただき、
その鍵盤感覚の違いに、愕然としたものを覚えてしまいました。
またまた、研究材料の山をもらった気分です。

バッハをピアノで弾きべきか…?
この永遠の課題に対する私なりの答えの方向性が
オルガンや古楽器に触れるたびに、大きく揺れ動きます。
【2007/05/20 00:36 】
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暖かい息吹
朝、たまたまエレベーターに乗り合わせたご近所さん。
この方って、本当に感じがよい方なんですね。
なんというのか、話しかけられただけで、
こちらの気持ちまで暖かくなるような、そんな何かを感じるのです。

これって、きっと理屈ではないんでしょうね。
その人の心の状態が、言葉と雰囲気を通して、
ただ単純に、こっちに伝わってくる。
そんな気がします。
心が開いてる人って、多くの人に幸せを運ぶんですね。

ここのところ、公私共に極度のストレスにさらされることが多く、
私の心はささくれだらけ。
とてもじゃないけど、人様の前にさらせる状態ではなかったのですが、
そんな、傷だらけの心の中に、
暖かい息吹を吹き込んでもらったような気がします
【2007/05/19 00:32 】
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フリージング
書店で偶然見つけてた、フリージングに関する本。
きっとこれは役立つだろうと思ってましたが、
実際、とっても役立っています

野菜やフルーツは、多めに買ったほうが断然お得。
また、旬のものは安価で美味しいですが、
多く買っても、一度に食べきれるというものではありません。
実際生活の中で、無駄をなくしたい思いから、
なんとか冷凍保存することを考えてはきたのですが、
これが、素人判断ではうまくいかないことも多々あり
結構、悩みの種だったんですね〜。

思っても見なかったものが、方法さえ選べばフリージングできたり、
同じフリージングするにしても、やり方をきちんとすれば、
調理した時に、本当に美味しく食べられるわけで、
最近では、フリージングすることを見込んでのお買い物も、
ソツなくできるようになりました

…というわけで、うちの冷凍庫は満杯ですが、
生のまんまで鮮度の落ちたものより、
フリージングしたものの方が美味しい場合って、結構多いんですね。
それに、フリージングした材料がいっぱいあれば、
何より、忙しい時重宝なんですよね〜
【2007/05/18 23:57 】
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心とは、なによりも神聖な場所
誰かが、自分に何かを伝えようとしている。
そのことはよくわかるのに、それが一体何なのかがよくわからない。
そんな時、どうしてあげたらよいのだろう…。
いや、きっと何もしてあげることはできないと思う。

伝えたいことを、はっきり表現できないのは、
ほかでもなく、その人の心が閉じてしまっているから。
そして、それでも何かを伝えようとしているのは、
その人が、閉じた心をなんとか開きたいともがいているから。

そんな時、私は、自分の方から、
その人の心に触れてはならないような気がする。
時間はかかっても、もし、その人が、
自力で自分の殻を破ることができたなら、
それがベストなことだから。

でも、もしも、その人が自分の殻を破れなかったとしたら…。
その時は、何も気付かなかったように、
そっとその人から離れてあげるのが、
その人自身を受け入れてあげることになるのではないかと思う。

心とは、何よりも神聖な場所だから、
安易に触れたり、無理やりこじ開けたり、
ましてや土足で踏み込んだりしてはならない。
誰かと何かを通わせたいと願う時、
私はいつも、そんなことを思うのです。
【2007/05/17 23:29 】
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辛い体験もいつしか…
心理学的に言えば、
嫌な体験はできるだけしない方が良いのです。
…が、その嫌な体験を本当の意味で乗り越えることができたなら、
それが、いつの日にか役立つことがあるんだなとも思います。

あれが乗り越えられたのだから、
こんなことくらいたいしたことはない。
たとえ何が起こってもそう思えるような、
苦しい体験をもっていることが、
窮地に追い込まれた自分を、
しっかりと強く支えてくれるのです。

「可愛い子に旅をさせろ」とか
「苦労は買ってでもするものだ」とか言いますが、
人はみな、苦しみ、思い悩むことでこそ、
真の成長を遂げていことができるのでしょうね。

【2007/05/16 23:52 】
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不変な気持ち
私の心の中に不変な気持ち。
それは、“やっぱりピアノが好き…”ということ。

どんなに辛い時でも、どんなに苦しい時でも、
この気持ちを心の中に発見すると、
もう少しだけ頑張ってみようかと、
再び、前に進みだすことができるのです。

それは、きっと、その気持ちが、
自分にとって、確かなものだから…。

何かを愛する自分を発見することは、
見失った自分自身をとりもどすこと。
ピアノとは、きっと“私自身”なのかも知れません。
【2007/05/15 23:30 】
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火事場のバカ力
ピアノは、練習時間を最も多く必要とする楽器です。
だから、誰もが少なからず、
やらなければならないことを山ほど抱えて、
“練習時間が十分に取れない”という悩みを持っています。

ただ、自分のことをふり返った時、次のような現実があります。
時間の十分ある時よりも、時間が足りなくて切羽詰った時の方が、
結局、成果の上がる練習ができている…。

つまり、今日は時間を気にしないで練習できると思うと、
無意識のうちにのんびりしてしまうけど、
今日は1時間しかさらえないと思うと、
その中でいかに効率よく練習するかを考え、
また、最大限の効果があるように集中もするのでしょう。

火事場のバカ力なんていう言葉がありますが、
そういうことってあるかもしれません。

【2007/05/14 00:26 】
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ペンだこ
3年前から役員を務めている、
ある団体の郵送物の書類への書き込みと、
封筒25通の宛名書きをしたら、ペンだこができてしまいました
けっこう細かい書き込みがあったので、1時間以上も費やしてしまったのですが、
それにしても、これしきのことでペン とは、
我ながら情けない…

考えてみれば、パソコンのブラインドタッチを習得して以来、
ペンを握って、長時間文字を書き続けることがほとんどありません。
学生時代は、ノートを取ったり勉強をしたり、
文字を書き続けることなんて、なんともなかったはずなのに、
う〜ん、やはり退化してしまったんでしょうかね…

【2007/05/13 00:23 】
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寝違い
右の首を、寝違えてしまいました
それでも、午前中はたいしたことなく、
少し痛みがある程度だったのですが、
お昼ごろから次第に悪化
現在シップに巻かれています

おかげで、ゆっくりできるはずだった午後からのお休みは、
重い頭を手で支えながらベットに横たわることに。
お部屋の片付け・お料理・お買い物の計画は全て先送り。
本を読みながら、静かな休日となりました
【2007/05/12 00:13 】
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抜群の安定感
今、NHK芸術劇場で放映中の、
イム・ドンミンのショパンのスケルツォを聴きながら書いています。
題目は『〜2005のショパンコンクール入賞者の日本公演録画』です。
プログラムは、スケルツォ全4曲とノクターンハ短調。
どの曲も、抜群の安定感なんですね。

コンクールで入賞を果たすピアニストに共通して言えることは、
音楽も一定水準に達していることに間違いはないのですが、
何よりも、テクニック的に不安がない。
何を弾いても抜群の安定感があることなんですね。

この一音たりともかすることさえなく、
どんな難曲でも余裕で弾きこなすテクニック。
きっとこの種のテクニックの安定感は、
はじめはミストーンもあったけど練習を積んで、
そのミストーンをなくしていったというものではなく、
はじめから、一音たりとも間違えないという、
質の高い練習を積んだ結果なのだろうと思います。
“練習の時にこそ、一音たりとも変な音を鳴らすな!”
私の師匠がよく口にする言葉ですが、
これは、本当に大切なことなんですよね。

抜群の安定感を誇る、彼らの演奏を聴きながら、
なにげに、その言葉を思い出してしまいました。
そうですよね、きっと彼らなら、
こうしてステージで演奏する時よりも、
自室で練習する時の方が、数倍の緊張感をもって、
音を出しているに違いありません。


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【2007/05/11 00:21 】
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関所
ピアノを演奏する力をつけるための基礎教材、
特にエチュードの類には、
必ず、作曲者によって意図的に作られた、いくつもの難関があります。
日本の古い時代で言う関所のようなもので、
つまりは、そこを通り抜けなければ、
目的地にたどり着くことができないわけですね。

例えば、バイエルでは、
大体の人が一番はじめにひっかかってしまう難関が、
すでに、第7番にでてきます。
(生徒の出入りが多いこのサイトで、
レッスンの手の内をさらすのは躊躇われるのですが…(^^;))
この作品の第6小節〜第7小節への移り変わりの部分を、
正確に、そして音楽的に演奏することは、容易ではありません。

今日、3月にレッスンをはじめたばかりの、
20代前半の生徒がこの曲をレッスンに持ってきました。
案の定、その部分がうまくできなくて四苦八苦しています。
そこで、その箇所について、
なぜ難しいのか、その原因理由を考えてもらった後に、
その難しさを克服するための練習方法を提示しました。

この課題が克服できる早さには、かなり個人差がありますが、
私自身は、それはそう簡単なことでもないと思っています。
さすがに、専門課程を卒業した人で、
それをすぐにその場でこなせない人はいないようですが、
それでも、実際、そういうランクの人に、
レッスンでその練習方法を実践してもらわなければならないことが、
しばしばあるのが現実です。
つまり、こういう足元のことって、案外、置き去りにされていたり、
見逃されていることも多いということなんですね。

テーマ:ピアノ - ジャンル:音楽

【2007/05/10 23:42 】
レッスン室 | コメント(0) | トラックバック(0)
洋風寿司
洋風寿司を作ってみました。
“簡単にできる”という見出しのついたレシピで、
以前から、一度食べてみたいと思っていたのです。

お酢の代わりにレモン汁、
風味を出すためにオリーブ油を使います。
はじめは、レモンはお酢に比べて酸味が強いし、
オリーブ油とご飯がマッチするかなって感じでしたが、
これが、サッパリて美味しいんです

私たち日本人にとって、はどこまでもですが、
実は、ヨーロッパ人にとって、
お米は、サラダやスープの具として使うお野菜なんですね。
だから、中の具は、お寿司だと思わず、
サラダ感覚で選ぶと、美味しくできるように思います。

ちなみに、私は、鶏のささみ、絹さや、
そして、旬の新玉葱を生のままみじん切りにして入れました。
これに、赤や黄色のパプリカなども加えると、
彩り豊かな、イタリア料理の前菜風になると思います。

お寿司を、うちで作るには、結構時間がかかりますが、
この洋風寿司なら、本当に短時間で作れます。
皆さんも、好みの具で、是非試してみてくださいね





【2007/05/09 23:39 】
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歯磨きの達人
歯医者さんに褒められてしまった
私は、歯の磨き方が本当に上手いらしい。

最近の歯科では、診療科目に審美歯科・予防歯科など、
昔は目にしなかった項目が書かれているだけあって、
患者さんの了解を得た上で、治療が終わった後、
歯磨きの指導をしてくれるようです。
そして、今日は私もその歯磨きレッスンに行ってきたのです。

まずは、どこに磨き残しがあるかを調べるために、
苦くて青く着色されてる薬を、歯に塗っていくのですが、
薬を塗布した後うがいをし、再度口をあけて、
歯科衛生士さんに口の中を診ていただくと、
「いや〜、素晴らしい!本当に綺麗です。驚きました!
歯磨きの仕方を、どこかで勉強されたのですか?それとも独学?」

目が点になったのは、私の方。
だって、歯磨きを習った記憶といえば、
小学校低学年の時の“歯磨き体操”(覚えてますか?)くらいのもの。
ただ、特に、夜寝る前の歯磨きでは、
歯に少しでもザラつきが残っているととても気になるので、
時間をかけて磨き方を工夫したり、
どうしても表面がツルツルにならない時は、
やわらかいガーゼで拭いたりするので、そのことを伝えると、
「そうですか…、やっぱり、そこまでされるから綺麗なんですね…。」
と、またまた感心されてしまいました
そう言えば、以前通っていた歯医者さんで、
「歯ぐき年齢が若いですね〜!」と驚かれたこともあったっけ…。

その後、顕微鏡で、歯ぐきにいるばい菌を見せてくれたのですが、
このばい菌がチロチロと動いているのは、結構えぐい図で、
えっ、綺麗なのに、こんなにばい菌がいるの〜って感じでしたが、
私のは、口腔内が綺麗なため、動きが本当に弱いんだそうです。

さて、思わぬところでベタ褒めされてしまい、
すっかり気分の良くなった私…
今夜はいつもに増して念入りに、歯磨きしてしまいそうです。
実は、私の歯磨きの場所は湯船の中だったりするのですが(^^;)、
そもそも、時間節約のためにこういうことを思いついたのが、
ゆっくり歯磨きすることにつながり、功を奏したのでしょうかね〜(^^;)?
もちろん、歯医者さんでは、湯船に浸かって歯磨きしてることは、
言ってませ〜ん(^^;)。

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【2007/05/08 23:05 】
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カエルの合唱
最近、夜バルコニーに出ると聞こえてくるの合唱。
おそらく、埋立地に新しく建設された道路と、
古くからの大道路の間にある、空き地の草むらに潜んでいるのでしょうが、
鳴き声から察するに、その数、少なくとも数千はくだらないのでは…と。
このの合唱を聞いていると、
彼らの強靭な生命力を感じずにはいられません。

近年、新興住宅地として次々とマンションが建設され、
急速に都市化が進んでいった、わが街宇品。
スーパーからドラッグストアー、ホームセンター、レストランに至るまで、
生活の必要品が全て街の中で調達できるこの環境は、
私にとってすこぶる便利で、
こんなところに住むことができた幸せを、思わない日はないのですが、
その一方で、都市化によって、
どんどん自然環境が破壊されることを残念に思う、
実に身勝手なアンビバレントな感情が、私の中にあるのも事実です

この君たちの棲家である、空き地の草むらも、
実は、現在すでに売りに出されていて、
そう遠くない将来、戸建ての住宅や商業施設が建設される運命。
そんなことを思いながら、聞いているせいでしょうか?
私には、君たちの合唱が、
都市化反対の抵抗の声に聞こえてしかたないんですよね〜

【2007/05/07 00:24 】
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上手い演奏と感動的な演奏
“夢コン”でシニア部門優秀演奏賞を受賞した生徒が、
お土産を持ってお礼の挨拶にきてくれました。

そもそも、彼女が私ところへ来るようになった理由は、
優等生タイプの演奏から脱却し、
自分の殻を打ち破りたいということでした。

その彼女が、この度、演奏後に多くの人から、
“感動した”という感想を聞くことができたということで、
本人も、こんなことは生まれて初めてだと大変興奮していました。

不思議なことですが、実際、
上手い演奏が必ずしも感動的な演奏とは限りません。
逆に、感動的な演奏が必ずしも上手いとも限らないのです。
これは、理屈に合わないことなのですが、
理屈に合わないことがいっぱい存在するのが、
人間の感覚・感情の世界の本質でもあるわけですね。

彼女の本番直前のレッスンで加えたアドヴァイスに、
実のところ、私は、ある不安を感じていたのですが、
コンクールの結果というよりも、一連の結果報告に、
自分自身も、ホッとすることができたように思います。




【2007/05/06 23:19 】
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指導者という立場
私は、レッスンにおいて、
指導者として立ち入っても良いことと、
立ち入ってはならないことがあると思っています。

例えば、譜面上の約束事、
簡単に言えば、楽典という音楽の法律で定められているルール。
これは、まず、守られなければならないことなので、
それに違反がある場合は指示を与え、矯正してもらいます。
すなわち、四分音符はちゃんと四分音符に、
レガートはきちんとレガートに、
そして、フォルテはフォルテになっていなければならりません。

しかし、フォルテがどんな感じでフォルテになっているか、
また、クレシェンドがどんな感じでクレシェンドしているか、
といったような、表現面のことについては、
基本的に、生徒の表現したいことをそのまま残し、
よほどのことがない限り、それを訂正したり、
ましてや自分の感覚を生徒に押し付けたりすることはありません。

それが、少々ぎこちない表現であっても、
また、幼くて子供っぽい表現であっても、
表現については、その人自身のものであることが、
最も大切なことだからです。

指導者と生徒というのは、特に日本のような社会環境では、
どうしても、指導者側が能動的、生徒側が受動的姿勢に傾きます。
だから、指導者が生徒を支配しようと思えば、とても簡単です。
でも、そのような服従依存のマザコン的関係を作ったとしても、
そこから、芸術は生まれません。

芸術=創造、つまり、真似事ではなく、
誰の助けをも借りず、自らが新しく創り出すから芸術なのです。
そのためには、まず、自分自身が独立し、
自分の足で立っていなければ、何も始まりません。
指導者の役目は、生徒がいずれ一人立ちできるよう、
独立への道を導いてやることで、
生徒が、自分なしでは何一つかたづけることのできない、
赤ん坊にしてしまうことではないのです。





【2007/05/05 00:21 】
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チャペル挙式
そもそも、友人のプロジェクトに参加するという形ではじめた、
チャペル挙式のオルガニストの仕事。
この業界にかかわりを持つようになって、
かれこれ5〜6年にもなるでしょうか?
今日は、いちばんはじめに、
この挙式の仕事でご縁のあった牧師先生と、4年ぶりに、
当時とは別の教会で挙式をご一緒することができました。

この牧師先生、もう80近い年齢ですが、
まだ現役でがんばっていらしゃいます。
先生の挙式が、私は、すごく好きなんですね。
若いころに、長年、ドイツの修道院で修行をされたらしく、
式の中でも、ドイツ語やラテン語を用いてお祈りをされるのですが、
そのお祈りの言葉が、まるで音楽を聞いているように美しいのです。
式全体にもリズムがあり、なにかしら敬虔な気持ちにさせられます。
また、これからも先生の挙式でオルガンを弾けるようになったことを、
なにより、嬉しく思うのです。
【2007/05/04 23:57 】
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にらめっこ
先日のこと。
連休で里帰りをしていた1歳3ヶ月の姪御が、
お父さんと一緒に裏の畑に散歩に出ようとして、
ミー子(=^・^=)さんとはちあわせ。
歩き始めたばかりのヨタヨタした足取りがピタリと止まり、
にらめっこをはじめました。

姪御にとって本物の猫を間近で見るのがはじめてなら、
ミー子さんにとっても、
おチビちゃんに間近で見つめられるのは、はじめてのこと。
両者微動をだにせず見つめあったまま、どのくらい時間が過ぎたでしょうか?

結局、最後は、姪御が“(ToT)あ〜〜〜ん(ToT)”と、
大声を上げて泣き始め、ミー子さんの大勝利。
猫同士の喧嘩では負けが定番のミー子さん。
よほど勝利の美酒に酔いしれた表情でもするのかと思いきや、
相手が人間だとあまり張り合いもないのか、
結構涼しげな表情で、泣き声をあげる姪を見つめ続けておりました(^^)。
【2007/05/03 00:55 】
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ゴールデンウィーク終了!?
ここのところ、早朝の仕事が続いていたせいで、
午前0時過ぎに、眠気に教われるようになっています。
この眠気に身を任せて、お布団の中にもぐりこめたなら、
きっと、朝も早くから爽快に目覚めることでできるのでしょうが、
なにせ23時前に練習を終えるとなると、
午前0時までに、家事、雑用、
そして、ブログやHPの更新などなどが全て片付くはずもなく、
あくびしながら、書いています(+_+)。

さて、世の中は明日から本格的なゴールデンウィークだというのに、
私の5月連連休は、本日午前中をもってすでに終了しております。
今日はお昼から、3人の生徒のレッスンをしたのですが、
明日からは、また、外で色々な予定をこなしていかねばならず、
一息つけるのは、月曜日になりそうです。

さて、ではそろそろ、お風呂を沸かしながら、
明日の準備でも始めることにしましょうか…!


【2007/05/02 00:10 】
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エゴか愛情か?
どうも目の調子が今ひとつのミー子さんを、
行きつけの病院に連れて行きました。
幸い大事にはいたらず、かゆみ止めの注射二本と目薬の処方のみ。

連休の狭間の平日とあって、待合室は例によってお犬様で満杯でした。
検診と予防注射の季節なのでしょうか、
どの飼い主さんも、看護婦さんから、
フィラリアの検診結果なるものを、受け取っているようでした。

こうして動物病院に来るたびに思うことですが、
医療などという人間文化の中にイヌネコを巻き込んでしまうことは、
彼らにとって、本当に幸せなことなんでしょうかね〜?
確かに、私たちが子供のころは、
狂犬病の予防注射こそ法的に義務付けられていましたが、
フィラリアは不治の病。
ほとんどの飼い犬は、夏場蚊に刺されてフィラリアに感染し、
死んでしまうのが、一生の終え方でした。
ちなみに、祖母が飼っていたクロという飼い犬も、
この病気で死んでしまい、えらくかわいそうな思いをしたものです。

そんなことを思えば、確かに医療の世界を人間と共有したことで、
確かにワンちゃんもニャンコも、
その大きな恩恵を間違いなく受けているわけですが、
最近では、フィラリアのみでなく、数々の予防注射に予防薬、
やれ検診だの検査だの、イヌネコ問わずとにかくすごいわけで、
そのたびに、病院などというところに連れて行かれ、
全身が地震のごとく震えてしまうほどの、
恐怖にさらされなければならないことを思うと、
もしかしたら、少々の痛みなら耐えて治す方が、
彼らにとっては辛くないのでは…と思ったりするわけであります。

人間とは自然な姿を全く失ってしまった動物らしいですが、
つまり、病や死を極度に恐れるのも人間ならではのこと。
もしかして、そういう意味では、
犬だってネコだって、運命的にやってくる、
自分自身の“死”を受け入れる能力は、
人間とは比較にならないほど高いのでは…と思えてなりません。

ちょっと目の周りが赤くなっているからと、
病院に走ってしまう私も、たいがい親バカだと思いますが。
“頼む!痛いのも痒いのもいや、死ぬのも絶対いやだから、
怖くてもいいから病院に連れて行ってくれ!”と頼まれたならまだしも、
言葉の語れない彼らの気持ちを、
人間的尺度で勝手に解釈しているわけですから、
これがエゴか愛情かっていうのも、実際きわどいですよね〜(^^;)。


【2007/05/01 23:00 】
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